【衝撃事件の核心】犯人が15時間も現場に居座ったのは…浮かび上がる世田谷一家殺害事件との共通点

2009.5.16 08:00 MSN産経ニュース





山田雅樹さんの刺殺体が見つかり、自宅周辺を調べる捜査員ら=2日、愛知県蟹江町


 犯人は家人らを殺害後、15時間近くも現場に居座っていた。愛知県蟹江町で母子3人が殺傷された事件。現場にあった作り置きの夕食を食べ散らかし、意識を取り戻した被害者のひとりと会話を交わすなど、犯人の「余裕」ともいえる不可解な行動が浮かび上がってきた。なぜ、顔を見られた可能性が高い被害者にとどめを刺さなかったのか。現場に長時間、“滞在”しなければならなかったのは…。その理由を知る犯人とみられる男は、現場に臨場した捜査員のスキをみて、まんまと逃走してしまった。

 
「まだやることがある」…居座った目的は?

 事件が発覚したのはゴールデンウイークまっただ中の5月2日午後0時20分ごろ。愛知県蟹江町の会社員、山田喜保子さん(57)宅を、次男の雅樹さん(26)が勤務するケーキ店の上司と同僚が訪れた。前日の夜から雅樹さんと連絡が取れないことを不審に思い、あらかじめ蟹江署員を同行させていた。

 インターフォンを押しても応答がない。玄関ドアや勝手口は施錠されていた。自宅のまわりを一周したところで、首などを刺され、電気コードで両手首を体の前で縛られた三男の勲さん(25)が突然、玄関から飛び出してきた。

 「助けてください! 強盗です。2人死んでいます。犯人は逃げました」

 臨場した蟹江署員からの連絡で、現場に駆けつけた愛知県警捜査1課の捜査員はあまりの惨状に目を見張ったという。

 玄関を入り、左側の和室では雅樹さんが上半身裸の状態で背中を刺され、うつぶせで倒れていた。周囲には血だまりが広がり、すでに息絶えていた。凶器は洗面所に残されていた自宅の包丁と判明。よほど強い衝撃が加えられたのか、刃と柄が外れていた。

 喜保子さんも翌5月3日、和室の押し入れの下段で毛布にくるまれ、変わり果てた姿で見つかった。下半身は何も身に着けず、上半身のシャツはまくり上げられ、顔や頭に激しい暴行を受けた痕が残っていたという。

 凶器は玄関付近に落ちていた鉄製のスパナとみられ、頭蓋骨(ずがいこつ)が割れるほど頭を何度も殴られていた。さらに、喜保子さんの遺体のそばにはかわいがっていたという子猫が首を絞められ、死んでいた。

 一家は喜保子さんと4人兄弟の5人家族。夫は10年以上前に他界した。長男と四男は別居しており、雅樹さんと勲さんと3人暮らしだった。

 蟹江署捜査本部は、喜保子さんの胃の内容物などから犯行時間を5月1日午後9時から10時ごろと推定している。勲さんは同日午後8時ごろに勤務先から帰宅したが、すぐに外出。自宅には喜保子さんしかいなかったとみられる。

 雅樹さんは午後9時半ごろ、勤務先のケーキ店を出て10時前に帰宅。和室で犯人と鉢合わせになり、襲われたようだ。その後も犯人は現場に残り、日付が変わった2日午前2時すぎ、泥酔状態で帰った勲さんが玄関で靴を脱ごうとしたところを背後から襲いかかったという。

 捜査本部によると、勲さんは犯人ともみ合いになった後に意識を失った。意識を取り戻したときには両手首をコードで縛られ、粘着テープで口をふさがれた上、上着で目隠しされたという。

 「もう帰ってくれ」。ようやく口のテープが外れた勲さんは犯人にこう懇願したが、犯人は「まだやることがある」と現場に居座り続けた。

 夜が明けると、新聞配達員や心配して訪ねてきた雅樹さんの同僚も呼び鈴を鳴らした。勲さんはその度に「出ていいか」と尋ねたが、犯人は「だめだ」と拒否、頭から布団をかぶせられたという。

 喜保子さんと雅樹さんを惨殺した犯人は、勲さんにとどめを刺さなかった。犯行現場に居合わせ、顔も見られている可能性が高いのに…。

 
証拠隠滅?われに返った?

 凄惨な事件現場で交わされた会話。勲さんには犯人と交渉する余地が残されていたようにもみえる。

 捜査本部の調べに対し、勲さんは犯人について「一瞬しか見えなかったが、見覚えはない」と話しているという。

 「やることがある」といった犯人が何をしていたのか。勲さんは布団をかぶせられていたため、その後のことは「見ていない」と捜査本部に話しているというが、室内の音や犯人の動きについては、けがで意識が朦朧(もうろう)としていたのか、「話がつながらない部分もある」(警察幹部)という。

 警察幹部は「犯人がけがをしていた可能性があり、自らの血痕を洗い流すなど証拠隠滅を図っていた可能性もある」と分析する。

 確かに捜査本部の調べでは、1階居間の床には大量の血をふき取ったような跡があった。浴室では水を張った浴槽に衣類やタオル、毛布が入れられ、水は血がにじみ出てピンクに染まっていた。発見された3つの凶器のうち、喜保子さんを殴打したスパナの血をふき取り、雅樹さんを刺した包丁は洗面所で血を洗い流していた形跡が確認された。

 ただ、付着した汗や血液などの微物から犯人特定につながりかねない凶器を放置し、着てきたパーカを現場に脱ぎ捨ててもいた。

 現場から採取した血液や毛髪などをDNA鑑定した結果、殺傷された3人のほか、別居している長男と四男とも異なるDNA型が検出されたという。

 犯人のいう「やること」が証拠隠滅だったとするには、あまりにずさんだ。犯人は蟹江署員が現場に到着するまでの15時間近くにわたって現場に居座り、何をやっていたのか。

 被害者3人の財布からは紙幣が抜き取られていた。勲さんは犯人から「金はないか」と聞かれたというが、これまでの捜査本部の調べでは、室内を物色した形跡はないという。

 捜査関係者は「殺傷方法を見れば被害者への強い恨みを感じるが、財布に紙幣が見当たらず、強盗目的の線も消せない」と話す。

 新潟青陵大大学院の碓井真史教授(臨床心理学)は「強盗目的であれば、殺害し、現金を奪って逃走すればいい。喜保子さんを襲い、異常な興奮状態のまま雅樹さんまで殺害した。そこである種の高揚感や達成感にひたっているうちに時間がたってしまったのかもしれない。勲さんが帰宅したころにはわれに返り、何が何でも殺さなければという精神状態にはなかったとみることもできる」と推測する。

 ただ、犯人が言ったという「やること」はまったくみえてこない。

 
現場で食事…「あの事件と似ている」

 「状況があの事件にそっくりだな…」

 ある警察OBはこうつぶやいた。

 「あの事件」とは9年前に発生した東京・世田谷の宮沢みきおさん=当時(44)=一家4人殺害事件のことだ。

 20世紀最後の日にみきおさんと妻の泰子さん=同(41)、長女、にいなちゃん=同(8)=が刺殺され、長男、礼君=同(6)=が窒息死させられているのが見つかった。みきおさんら3人は刃物で執拗に刺されており、室内は血の海と化した凄惨な現場だった。

 凶器の包丁、トレーナー、ジャンパー、ヒップバッグ…。現場には多くの物証が残されていた。さらに、犯行後に半日近くも現場に居座り、朝になって隣接する家族がインターフォンを鳴らしたところで逃走したとみられる。冷蔵庫のアイスクリームを食い散らかし、書類を浴室に散乱させるなど不可解な行動も、今回の事件と重なる点ともいえる。

 大人の被害者が執拗に刺されたり、殴打されるなど残忍な手口で殺害されているのに対し、子供の礼君や猫など「弱い存在」に対しては刃を向けていないことも不思議に共通している。

 世田谷事件の捜査に携わった警察OBは犯人像をこう推察する。

 「犯行後、長時間現場に居座り、食事までする行為は犯人が“普通の人間”であることを意味している。精神状態が異常な犯人ならば、犯行後に騒ぐか、すぐに逃げるケースが多い。犯人はどこかで普通の生活を送っているはずだ」

 その上で、こうも言った。「現場で時間稼ぎをしていたのは誰かを待っていた可能性がある。つまり、共犯がいる可能性もあるということ。あるいは、誰かに殺害を頼まれたのかもしれない」

 
署員は“犯人”を見ていた…最後は被害者が自力で脱出

 自宅を最初に訪れた蟹江署員が犯人の疑いが強い男を取り逃していた事実が事件から6日後に明らかになった。

 県警の立岩智博捜査1課長は「初動捜査にミスはなかったと判断している」と弁明したが、ジャーナリストの大谷昭宏さんは「現場に居合わせた関係者を一斉に足止めにするのは捜査の常識だ。現場を離れるというのは考えられず、その場で応援を呼べばいいだけの話。県警の初動捜査の教育に疑問を抱かざるを得ない」と指摘する。

 ことの顛末(てんまつ)はこうだ。捜査本部によると、勲さんが助けを求めて外に出てきた後、蟹江署員がドアのすき間から中をのぞくと、玄関先の廊下で若い男がうずくまっていたという。署員は男に「大丈夫ですか」と声を掛けたが反応はなく、ひとまず勲さんを近くの路上に保護し、2分後に現場に戻ると、男は消え去っていた。

 “捜査ミス”とは別に浮かび上がるのは、それまで身動きが取れない状態にされていた勲さんが、そのときは外に逃げられる状態にあったという点だ。

 勲さんは捜査本部に「玄関のインターフォンが鳴ったとき、犯人は近くにいないようだった。力を振り絞って逃げ出した」と説明しているという。

 それまで、新聞配達員らが何回かインターフォンを鳴らした際は、「出てはいけない」と言ったり、勲さんに布団をかけるなどしていた犯人は、その時だけは勲さんの動きを気にかけていなかったことになる。そのとき犯人は屋内のどこで、何をしていたのか…。

 情報提供は蟹江署捜査本部、フリーダイヤル(0120)011076

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